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壮大な反抗期

 

愛が少し分かったと思っては
愛の人になりきれないと感じる。

 

このサイクルが続くのは何故か?

と、その答えをずっと探して来ました。

 

そして先日気付いたのは、
これは壮大な反抗期であったということです。

 

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思えばいつの頃からか、不当なことというものに怒りを感じていました。

 

あるいは、嫌気が差していたと言ってもいいかもしれません。

 

その怒りや嫌気の向かう先は、親とか学校の先生とか、
あるいは不当なことをしてくる他の誰かなのかと思いましたが、
そうではありませんでした。

 

私の怒りや嫌気の向かう先は、その不当さを罷り通しているこの世界でした。

 

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この世界において普遍なる善と言えるのは"愛"くらいです。

 

だから、反抗期の子供が暴言を吐き悪態をつくのと同じように、
深層意識レベルで私は愛の存在となることを拒絶するという
この世界に対する反抗をしていたのです。

 

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しかし今の感覚で捉えれば、この世界で私が体験してきた"不当なこと"というのは、
全一なる存在が在るべきありようになっていく物語の一部という意味において、
微塵も不当ではありません。

 

私がその頭で"不当"と思っただけです。

 

つまりこの世界に不当と思えることはあっても、
それは本当の意味での不当ではない。

 

"完全"の一部なのです。

 

そして、こういう感覚に至っている以上、
上記のこの世界に対する私の反抗はもう意味を為していません。

 

それは、その"壮大な反抗期"を手放す時が来たということです。

 

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愛を体現するのに必要なのは、私の場合
何かを身につけることでも
何かを理解することでもなかったのです。

 

"この世界に対する反抗期"を手放す。

 

本当に1番必要なのは、ただそれだけでした。

 

とはいえ私は随分前から、この世界そのものを愛しています。

 

矛盾するようですが。

 

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この世界そのものというのはまた、一柱の偉大な女神でもあります。

 

そしてパートナーというのは、その女神の化身としての側面も持っていると感じています。

 

なので、パートナーと向き合うということは、
この世界と向き合うことにもなるようです。