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私を私に渡し

 

所有感を手離すというのが課題の一つでした。

 

所有なんてそもそもしていない。

 

例えば目の前にあるアーモンドも、目の前にあるから食べるけれども、
私がお金を払って買ったものであったとしても、
私のものではない。

 

誰かのものでもない。

 

アーモンドはアーモンドとしてあるだけ。

 

昨晩、そこまで気付いても、パッとは切り替わらなかった。

 

だからその気付きが定着するまで待とうと思っていた。

 

そして今朝、大事なことに気付きました。

 

今まで、所有感の核にあるものに気付いていなかった。

 

それは、「“私”は私のものである」という感覚。

 

しかし、私すらも私のものではない。

 

もちろん、人のものでもない。

 

私は私のものであるという感覚は、エゴの核となります。

 

エゴ=悪ではないけれど、
エゴに囚われていると不都合が多い。

 

エゴから解放された上で、自由意思でエゴを持つのは何の不都合も呼ばないけれど。

 

私は私を所有出来ないし、
私は私に所有されない。

 

私を私に渡し
わたしはじゆうになる