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プロフィール その10〜信仰〜

私の中の、一般的に言うところの信仰心、あるいは信心深さみたいなものは、

昔は今とは違うカタチでした。

 

 

ある時期までは、

「神仏は尊び、神仏に頼らず」

という宮本武蔵のような信条を持っていました。

 

いつから変わり始めたか記憶を辿ってみると、

ルドラークシャ(金剛菩提樹の実)に強い関心を持つようになってからだと思います。

 

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ルドラークシャは特に、シヴァ神との繋がりの深いものとして知られています。

 

それで私は、シヴァ神との縁が深いこともあり、

ルドラークシャに強い関心を持つようになりました。

 

初めは、「神仏は尊び、神仏に頼らず」という信条だったので、

ルドラークシャに力があるとしても購入しようとは思っていませんでした。

 

神仏に関わる神聖なアイテムにも頼らずに、

自分の力だけでやっていきたいと思っていたのです。

 

しかし、ある時ふと思ったのです。

 

「生きている中で、様々な人に会い、その影響を受けて成長したりすることがある。

 それは特に問題のあることではないし、避けるべきことでもない。

 ならば、その相手が人ではなくルドラークシャという木の実でもいいではないか。」

 

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それからしばらくすると、ルドラークシャのみでなく

入魂されているシヴァリンガムや神像、

入魂されているヤントラ等、

色々なものを購入するようになりました。

 

そのようにしてインドの神々の礼拝が始まりました。

 

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現在、私が礼拝している神々は主にインドと日本の神々で、

多数の神々を礼拝していますが、

礼拝する神々は手当たり次第に増やしたわけではありません。

 

その時その時で内観に従って礼拝を始めるうちに、どんどん増えてきたという感じです。

 

私自身も「どこまで増えるのだろう?」と思ったこともありますが、

ある時直感的に「これは今、立体曼荼羅を作ろうとしているのだ。」と感じてからは、

安心して内観に従っています。

 

 

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そのようにして礼拝し、

また寺院や神社に参拝し、

自然の中の磐座を拝み、

あるいは瞑想するなどしている中で、

徐々に様々な神々のエネルギーを体感するようになりました。

 

観念的に信仰するのではなく

エネルギーを体感し覚知するというのは重要なポイントです。

 

その存在のエネルギーを体感して認識して関わるということは、

ある意味では人と関わることと同じということです。

 

エネルギーの純度や質の関係で、もちろん差はありますが。

 

それでも、基本的には対等な関わりであるという意識があります。

 

ある意味では人と関わることと同じとは言っても、

好きな人、尊敬している人との関わりのようなものなので、

敬意を持って関わります。

 

その上で、例えば、

神々には時間や空間の制約がないから出来るけれども

肉体を持っている私には出来ないことがあり、

神々には時間や空間の制約がないから出来ないけれども

肉体を持っている私には出来ることがあり、

それゆえ相協力することで動き出す物語があって、

私は御神事をしたりするのです。