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プロフィール その6 〜子供の意識の話と付喪神の話〜

10歳くらいまでの子供の頃の意識というのは

神に近いというような話を聞いたことがあるような気がします。

 

その「神に近い」というのをどういう階層で捉えるかにもよりますが、

自分が子供の頃を振り返ってみると

確かに頷ける説であると感じます。

 

 

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私はちょうど10歳の時に埼玉から札幌へ引っ越しました。

 

小学校3年の時にサッカー少年団に入り、

札幌の転校先でもまた入りました。

 

埼玉に住んでいた時、サッカー少年団ではレギュラーでした。

 

札幌では2軍になりました。

 

その差がどこにあったのかと考えてみると・・・

 

 

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はっきり言って、なぜ埼玉でレギュラーだったのかはよく分かりません。

 

特に弱いチームだったとかではありません。

むしろ埼玉の時のチームの方が強かったくらいです。

 

人数もそんなに変わらなかったと思います。多分。

 

ただ、一つ言えることは、埼玉にいた時は、

つまり10歳までは、

何も考えないで動いていました。

 

何も意識せず、ただ本能で動いていたし、

それで動けていた。

 

それが札幌では、何も意識しないでは動けなかった。

 

そんな違いはあるようです。

 

 

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それは、生活全般の中にも当てはまっていました。

 

札幌に行ってからは、意識して動いていたので、

“色々なことをした”記憶があります。

 

でも、埼玉にいた時は“自分が何かをした”という感覚の記憶ってあんまりないんです。

 

なんだか自然に動いていたような感覚とでもいうのでしょうか?

 

それを神に近い意識というのなら、それはそれで納得できます。

 

 

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サッカーは中学の途中で1度やめて、

高校でも少しやって、すぐやめました。

 

やめた理由、それは、中学の時は受験とか、

高校では学校の成績とかもありましたが、

一番はそこではないのです。

 

気づいたのです。

 

私はボールを蹴るのが好きなのであり、

競技としてのサッカーつまり試合はそんなに好きではないと。

 

まあ、そもそも、団体競技、向いてないんです、私。

 

振り返ってみれば、初めにサッカー少年団に入った理由も、

人に誘われて、

それでボールを蹴るの好きだし、

土日に家族で出かけるのも楽しいこともありましたが

基本的に車にも酔うからあまり嬉しくなく、

そのお出かけからも解放されるし

というような理由でした。

 

 

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ところで、話は変わりますが、私は物持ちがとても良いです。

 

最近ではあまり使わなくなりましたが、

刀鍛冶の修業中には毎週日曜に一週間分の食料を買い出しに行くのに

自転車に乗って、このバッグを担いで行きました。

 

 

このバッグは小学校6年の時に買ったものです。

 

24年くらい前ですね。

 

 

 

そして、スーツは礼服を除けば1着しか持っていません。

 

高校が私服の高校だったので、

そのスーツは高校の卒業式のために買いました。

 

およそ17年前です。

 

ほぼ人生の半分を共にしているわけです(笑)

 

しかもこのスーツは現役バリバリです。

 

そのうち付喪神になったりして。