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神という言葉

神様。

 

という言葉は人によって微妙に使うニュアンスが違うように思います。
一番大元の存在を神と呼ぶ人もいます。
しかし、私はその存在を神とは呼びません。
私の感覚では、“神”という呼称の枠に合致しないからです。
それでは何と呼ぶのか?
私は基本的には言葉では呼びません。
私が神と呼ぶのは、名前のある神。
それは、別な表現をすれば、具体的な個性を持った神聖なエネルギー存在もしくはその働きとしての原理です。
さらに言えば、そういう名前のある神々もつきつめれば、“その存在”の顕れです。
我々人間や、あらゆる存在が“その存在”の顕れであるのと同じように。
もちろん顕れ方はそれぞれに違いますが。
ということは、透徹した感覚を持っていれば、どの存在の奥にも“その存在”は覚知できるわけです。
(今回はとりあえず“その存在”とは呼んでいます。)
 
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“その存在”を神と呼び色々な表現をする人は、それが役割なのだろうと思います。
そして私自身、そういう表現を読んだり聞いたりして、色々学んだりしていて、
そういう表現をしてくれる人に感謝しています。
にも関わらず私がそういう表現をしないのは、そこに私の役割があるからです。
 
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名前のある神々との関わりを深めるということは、
1つには顕れとしての名前のある神々を通して“その存在”を覚知するというところに向かっていると、私は感じています。
しかし“その存在”は、頭で理解しない方が、本当に体感として覚知することがスムーズになると感じています。
だから私は名前で呼ばない。
神という名前でさえも。
そして“その存在”はまた、自分の内に向かっていっても辿り着きます。
辿り着けばいいだけならば、どちらか片方でもいいのですが、
私にとってはどちらの経路も重要です。
なぜなら、どの経路からでも同じところに行き着くことを体験して確認し、
その経路を行き来して、
その経路を拡張することが私の役割だからです。